weak point
頬を撫でる冷たい風に肩を竦めれば、もう冬の気配。
寒がりな恋人のことを思えば、帰路につく足取りは自然と軽くなる。
暦上は秋と呼ばれるこの季節、まだまだ残暑に暑い暑いとぼやいていたら、唐突に気候は変化した。
朝夕は大分涼しくなったな、と思ってはいたけれど、まさかこんなに寒くなるとは予想だにせんくて。
慌てて仕舞い込んでいた上着を引っ張り出して羽織る始末。
さすがに吐き出す吐息が白いとまではいかへんけど、それでも肌をなぞる風は随分とひんやりしてて冷たかった。
つい先日までアイスを詰め込んでいたコンビニ袋の中には、今は暖かな缶コーヒーが何本かと
小腹をすかしているかもしれない京くんのために肉まんが入っている。
ふわりと辺りを漂う懐かしくて旨そうな匂いに、自然と頬が緩んだ。
こういう感覚は幾つになっても変わらへんな、と思いながら、手に提げた袋を持ち直す。
「ただいまー」
鍵を開けて、冷たい空気から遮断された密室空間に身体を滑り込ませてほっと一息つく。
ここ最近ではそれが『日常』になった、玄関先に並べられたラバーソール。
いくら慣れたと言えど、やっぱりそれを見ると胸がくすぐったくなる。
返事がないところを見ると、どうやら京くんは昼寝中らしい。
ようやく行動パターンの読めてきた今ではもう家の中を慌てて探し回ることもなく、
真っ直ぐに彼の部屋へと足を進めた。
「京くん」
軽くノックをしてから、部屋のドアを開ける。
さすがにもう窓を開けっ放しにしたままということはなく、いつもははためいていた
白いカーテンが穏やかな光を受けて音もなく佇んでいて。
石張りの床に足を進める。
冷たいかと少々覚悟を決めて踏み込んでみたが、日光で暖められていたのか思ったよりも暖かかった。
だからこそ京くんもここで寝てるんやろうな、と思いながら、バスタブの中の眠り姫をのぞき込む。
蜂蜜色の髪が光に透けて、くしゃりと揺れる。
洗い晒しのジーンズは、裾の部分が踏まれて解れていて。
心地良く寝息をたてている京くんの身体には、見慣れた、でも京くんのものじゃない上着がかかっていた。
「…あれ…?」
それは、ずっと探しとった俺のジャケットで。
何でここにあるのかわからんくて、思わず首を傾げて考え込む。
「ん……」
そんな俺の意識を引き戻したのは、京くんの微かな唸り声で。
声もなくじっと京くんの顔を凝視していると、その目蓋が薄く開いた。
焦点の合わない瞳がぼんやりと宙を彷徨い、緩やかに閉じられる。
何や、寝惚けてただけか。
起こしてしもたんかとひやっとしたが、そうではなかったようでほっと一息つく。
心地良く眠っている京くんの睡眠の妨げは、強制的に起こさなあかんとき以外は出来るだけしたくなかった。
甘やかしてる自覚はある。それでも、気持ちよさそうに眠っている姿を見るとどうにも加護欲がそそられるのは事実で。
そのまま黙って京くんの一挙手一投足を見つめていると、窮屈そうなバスタブの中でぞもぞと身体が捩られ、
かけていた上着に顔が埋められた。
「…………かおる…」
ぽつりと。そのやわらかそうな口唇が動いて、噛みしめるように呟かれた名前。
言葉尻はすぅ、と寝息に吸い込まれて。
思わず息を呑んだ。
バクバクと鼓動が忙しなく脈打って。頬が知らず紅潮していく。
知らず喉が渇いて。言葉もなく、意味もなく口が開閉する。
面と向かって『好き』と言われたときも、こんなになったかと思うくらい、身体が勝手に熱くなった。
不意に叫び出したい衝動に駆られて、逃げるようにしてその場を後にする。
ぎくしゃくと動かす手足。
ぱたん、と音をたてて閉めたドアにずるずるともたれ掛かって。
「…反則やろ…」
頭を抱え込んで、ぽつりと呟く。
たった一言。寝言で、名前を呼ばれただけやのに。
それだけでこんなにも人を動揺させる力を、京くんは持っている。
無意識のうちに。人を惹きつけて止まない。
「なんつー最終兵器を隠してんねん…」
誰もいない少し寒い廊下で、小さく呟いた独り言。
両手を頬に当ててみると、そこは信じられないほど熱を持っていて熱かった。
いかに自分が動揺していたのかを思い知らされ、思わず苦笑が漏れる。
「結局俺の一番の弱みは、京くんってことか」
誰に言われるでもなく自覚していたつもりやったけど。
改めて実感する。
自分が、いかに、京くんに溺れてるか。
同じだけ溺れていて欲しいなんて、そんなロマンチックなことは望まない。
ただ、どうか。
あんな風に名前を呟く相手が、どうか自分だけであるように。
深層意識の奥の奥で良い。満たしているのが、自分であるように。
冷たく、誰もいない廊下で祈る。
窓の外はもう、彼と住み始めて3つ目の季節が到来しようとしていた。
END