それは

愛するが故のワガママ

 

When you think of someone.

 

*side 薫

「ただいまー」

言葉に出してから、ほんの微かな後悔が自身を襲う。
ドアを開けた瞬間に俺を迎え入れたのは暖かなぬくもりと「おかえり」という言葉ではなく、
冷たく、乾いた空気が包み込む無言の空間。
電気のついていない暗闇が、人の気配が全くないことを如実に示していて。

小さく溜息をつきながら、靴を脱いで家に上がる。
本来なら帰って安心するはずの『家』に戻ったはずやのに、
俺の気分は落ち着くどころかますます滅入る一方。
数日前まで「おかえり」と迎え入れてくれたあの笑顔が思い出されて、
ほんの少し、しくりと胸が痛んだ。

もともとひとりやったはずの、この場所。
ほんの少しの間やったにも関わらず、『彼』はいとも簡単に、
こんなにも大きく、ここへ存在感を残していった。



この場所へ

―――
俺の、中へ



「京…」

口癖にも似た、この口唇が象る名前。
名前を呼べば、今でもそこに彼がいるような気がして。

どさりと身体をソファに投げ出し、背もたれに頭を預ける。
感じたソファの広さに、何とも言えない寂寥感が胸を襲って。



―――さみしい



バカみたいに、つん、と。
鼻の奥が痛くなるのを感じて、少し自嘲的な笑いを零した。



どんな理由やったかは忘れた。
それくらい些細なことやったんやろう。
一週間分の着替えだけを持って、京くんは唐突に俺の家へ転がり込んできた。

まるで最初からそこにいたかのように、俺の日常に溶け込んだその存在。

例えば、ふたつ並んだ歯ブラシだとか。
例えば、増やさざるを得なかった食器類だとか。
例えば、灰皿に残された二種類の吸い殻だとか。

典型的な同棲話の引き合いに出される、そんなことが
少しずつ少しずつ増えていって。
誰かと暮らすことで感じる不満よりも、寧ろくすぐったさだとか
心地良さの方が大きかったんやと思う。

何よりも
「おかえり」と。

迎え入れてくれる存在がいることに、ひどく満たされていた。



 

*side 京

久々に戻った、自分の家。
おらんかったのはほんの僅かな期間やったにも関わらず、
妙に他人行儀な感じを覚えて何処か居心地が悪い。
それほどにあの家が居心地が良かったってことなんやろう。



あの家が

―――薫くんの、家が



風呂が壊れたなんて単なる口実にしか過ぎひんかった。
俺が嘘までついて薫くんの家に転がり込んだのにはれっきとした理由があって。

いらんことには鋭いくせに、肝心なことには鈍い彼に、思い知らせてやりたかった。



いい加減気付いてほしい。

燻ったままの感情を抱え込んで、どれ程の時間が流れたのか。
じゃぁ薫くんに気付かせればいいんだよ!とトシヤにけしかけられたのは
消化不良もいいところ、焦げ付く寸前やった少し前のこと。

「もーええ。薫くんなんて知らん」

うだうだと愚痴りながら煙草を吹かしている俺に、トシヤは少し苦笑を零しながら。

「まぁねぇ…。あそこまでわかりやすい行動とっといて、あれが天然だからね、薫くんは」

はい、と差し出されたいちご牛乳を間延びした礼と共に受け取ってプルを引く。
スポーツドリンクを片手に隣に腰を下ろしたトシヤは、煙草を銜えて火を付けると深く煙を吸い込んで。

「お前でも気付いてんのに、本人無自覚ってどないやねん…」
「何気に失礼なこと言うね、京くん」

ひとくち甘い液体を飲み込んでぽそっと呟いた俺の言葉に、苦笑して突っ込みを入れる。

「まぁ、京くんが悩むのもわかるけどさ」

長い指の先に挟まれた煙草から立ち上る細い煙を何となく見つめながら、もう一度大きく溜息を零した。

この頃には堂々巡りもいいところで。
無自覚の薫くんの一挙手一投足に、いいように振り回される毎日。
動くに動けず、雁字搦めになったまま。
打開策は一向に見えへんかった。

「…もーさ。薫くんに、自覚してもらうしかないんじゃない?」

ぽつん、と。何気なく呟かれたトシヤの言葉。

「自覚?どーやってやねん」

未だうだうだ悩んでいる俺に、そうだよ!とトシヤが唐突に声を上げて。

「薫くんに気付かせればいいんだよ!」
「は?」

にんまり。
まさに何かを企んでいるといったトシヤの顔に、俺は呆気にとられたまま。

「いいからいいから♪とりあえずさ―――

ひそひそと、耳元で打ち明けられた今回の秘策。
話を聞き進めていくうちに、少しずつ俺の口元も緩みだして。

「ね?やってみる価値はあるんじゃない?」
「………そうやな…」

そうして、トシヤにけしかけられるままに、
俺はその計画を実行に移して―――今日に至る。



「ホンマに気付くんやろか…」
『どーだろ?でも四六時中傍にいたのが急にいなくなると、やっぱ思うトコはあると思うよ』
「やとええんやけどなー…」

電話口でトシヤに今回の報告をしながら、小さく溜息を零す。

同じだけなんて望んだりせぇへん。
ほんの少しでいい。

今、この瞬間。
俺が薫くんのことを想っているように、
俺のことをほんの少しでいいから想っていてほしい。



―――なぁ、薫くん



 

*side 薫

携帯のディスプレイに表示させた、京くんの名前。

「いや、だから架けて何て言うねん…」

随分と長いことその金属の塊を握りしめたまま、あれこれ逡巡して。

「はぁ…」

溜息を零して、ソファに寝転がる。
閉じた目蓋の裏に浮かび上がるのは、我が物顔で俺のゲームを占領して楽しんでいる彼の後ろ姿。

『薫くん』

振り返って微笑むその笑顔に、ひどく満たされて。
しあわせだった。



―――この先も、その笑顔を俺だけに見せてほしいと思うほどに



それを願うのは、傲慢なんやろか……



 

*side 京

トシヤとの電話を切って、どさりとベッドに身体を投げ出す。

狭いシングルのベッド。
一緒に眠っていたわけではないけど、同じ空間でその存在を感じていた
昨日までを思い出して、ゆっくりと目を閉じる。



―――今頃薫くんも、同じように冷たいベッドの中で俺のことを恋しがってくれたりせぇへんかな



誰かを想う時、相手に寂しい思いや悲しい思いをしててほしいとは思わへんけど。
それでも、自分のことを考えていてくれたら、なんて。

愛するが故のワガママ。



 




そうして、数時間後。

静かな部屋に鳴り響いた、変化の予兆を示す着信音―――

 

END