心にカギをかけて
壊れたメロディを奏で続ける君に
救って欲しい
僕の思い出せない世界を
in the sky
「京くん、ただいま」
仕事を終えて帰宅し、真っ先に窓際に腰掛けていた人物に声をかけた。
朝方までずれ込んだ仕事の所為で、もう太陽は高い位置にまで昇っていて。
「今日はすごいええ天気やで。窓開けよか」
そう言って、開き扉の窓を開け放つ。
暖かな風が頬を擽り、燦々とした太陽の光が入り込んできた。
薄い布地のカーテンが風にはためく。
「空…高いな」
相変わらず、隣で歌を口ずさみ続ける京くんに声をかける。
返事は、ない。
わかりきっていたことやった。
ある日突然、京くんが何も話さなくなった。
外界を一切遮断するかのように。
感情も、言葉も、何もかもを忘れてしまったかのように。
連れていった病院でも、医師は首を傾げるばかりで。
『重度の過労とストレスから』
という言葉を残して診察に匙を投げた。
京くんが心にカギをかけた日。
あの日も、こんな風に空が高くて。
何かを、予感させていた。
確実に過ぎゆく時間の中で、俺の目は次第に色彩感覚を失い始めた。
ただ1つの例外、京くんだけをのぞいて。
白いシャツからのぞく日に当たらない白い肌。
幾度も染色と脱色を繰り返したやわらかな蜜色の髪。
赤い唇。微かに色付いた頬。
京くんの色彩だけが鮮やかで。
京くんとその傍にあるものだけが、俺の目に色彩を与えていてくれた。
俺の世界に飛び込んできた『京くん』という存在は、それだけ大きかった。
いつも手を離さへんかった。
ずっと傍にいた。
光と影のように。
奪い合っていた。
近付きすぎていた。
外見は何も変わらない京くんが心を閉ざしたという事実は、
いつも皮肉なことに京くんの声が思い出させてくれる。
「薫くん」
最後にそのやわらかな声で、俺の名前を呼んでくれたのはいつやったんやろう。
「京くん、甘い苺やで。ほら」
甘酸っぱい匂いが嗅覚を刺激する。
赤く瑞々しい果実は水滴を太陽の光に煌めかせた。
白いコンデンスミルクをかけ、京くんの赤い唇に1つ近付ける。
「口、開けて?」
歌を口ずさみ続けている京くんの唇を割って、苺を中に滑り込ませた。
もぐもぐと動く口と嚥下されていく喉を見つめながらほっと一息ついて。
「はい、京くん」
よーさん食べてな。
膝の上に載せた皿から1つ苺を摘み、同じように京くんの口に近付けた。
赤い唇が、白い歯が、赤い果実を囓る。
目の前の鮮やかすぎるコントラストに、俺は小さく微笑んで。
「美味しい?」
指についたミルクを舐め取りながら問いかける。
頷きもしなければ否定もしない京くん。
わかっていたことやった。
その夜。
「京くん、そろそろ寝よか」
1日中窓際に座っていた京くんの体を抱き上げ、寝室へ連れて行く。
暗い室内、窓から零れてくる月光が静かに京くんの顔を照らし続けていて。
光を失った瞳が、ひどく儚げに俺の目にうつる。
「…京くん」
その瞳に、小さく口付けて。
目を閉じるように促すと、大人しく京くんは瞼を閉じた。
「……」
唇を滑らせて、頬やこめかみ、鼻先に口付ける。
「京くん…」
所在なさげに放り出された京くんの手に指を絡め、唇に自分の唇を近付けて。
閉じられた唇を割って、中に舌を侵入させる。
「…ン…」
無意識のうちに京くんの口から零れる声が、俺を煽った。
嫌がる素振りを見せず、ただ俺を静かに受け入れている京くんに不安を覚える瞬間。
───もしも目覚めたとき、京くんが俺の傍からいなくなっていたら?
でも俺には、嫌がる京くんを無理矢理束縛出来る権利はなくて。
京くんを愛する俺。愛されている京くん。
でも当の京くんの気持ちは一体どうなん?
それでも、眠るときに繋いでいた手を京くんが離そうとしたことはなかった。
俺が留守にしている間に家を出ていこうともしなかった。
それは少しは、俺の傍にいてもいいという京くんなりの意思表示の方法なんやろうか。
その事実は多少俺の心を安心させ、俺の心を不安で掻き乱した。
「京くん…京くんは一体何を考えてるん…?」
まるで人形を掻き抱いているような空しさに囚われて、俺の頬を涙が濡らしていく。
俺の問いに、答える声はない。
わかっていたことやった。
数日後、仕事帰りに揃ってメンバーが遊びに来てくれた。
「京くん、ただいま」
相変わらず、窓際に座り続けて歌を口ずさみ続ける京くんに声をかける。
来てくれたみんなも、そんな京くんの様子を見て状況を悟ってくれたらしい。
「…相変わらず、なんだね」
「うん。あ、適当に座っとって」
立ったままのみんなに席をすすめ、何か飲み物でも、と台所へ向かう。
そんな俺を、シンヤが後ろから追いかけてきた。
「薫くん、ちょっと」
「ん?」
お湯をわかせようとポットをセットしていた手を止め、俺はくるりと振り向く。
そこには、真剣な表情をして此方を見ているシンヤがいて。
「その…大丈夫なん?」
言い出しにくそうに切り出したシンヤに、俺は首を傾げた。
「何が?」
「何が、って…」
あっけらかんとした俺の態度に拍子抜けしたのか、シンヤが肩を落として。
「薫くんやって」
「俺?」
俺の何が大丈夫なのかさっぱりわからずに首を傾げると、立ち上り始めた白い湯気を見ながらシンヤが口を開いた。
「昔の京くんを知ってる分…今の京くんを見てるのが辛いんちゃうん?」
昔。
ステージに立てば観衆の視線を引き寄せ、持っている力全てを使って煽動していたあの頃の京くん。
心を閉ざしてしまった今でも、人を惹き付けるオーラだけは変わらない。
俺は一度口を噤むと、シンヤの目を見ながら再び口を開いた。
「…シンヤさ」
敢えて質問された問いには答えずに、俺は言葉を続ける。
「なんで俺が京くんを引き取ったか、わかる?」
誰が京くんを引き取るかで話し合ったとき、俺は譲らなかった。
メンバーであるダイにも、トシヤにも、シンヤにも。
それだけは、誰にも譲れへんかった。
「…好きやからじゃないん?」
何を今更、と言った口調のシンヤに、俺は苦笑しながら答える。
「それはそうなんだけどな」
「じゃぁ何でなん?」
「………」
訪れた沈黙に、コポコポと水を注ぐ音だけが響いた。
「薫くん?」
「…救ってほしいねん」
「え?」
俺の口から零れた言葉に、シンヤが眉間を寄せる。
「俺…段々この世界が色褪せ始めてる」
「色褪せ始める?」
「もう俺には、京くんにしか色彩を感じられへんねん」
「それ…って…どういう…」
戸惑いを隠せないのか、シンヤが声を震わせた。
それもそうやろう。
これだけの大事実を、今まで隠し通してやってきたんだから。
俺は何でもないことのように笑うと、ことりとお湯を注いだマグカップを置いた。
「京くんだけ。京くんだけが、俺の目に色彩を持ってうつってる。後はみんな…モノクロームな世界と一緒」
「それ…病院には…」
「行ったよ。でも原因はわからへんかった」
ほら、とコーヒーの入ったマグカップを手渡す。
後の2人の分をお盆の上にのせながら。
「別に俺は構わへんねん。京くんだけが色を持ってうつってる、この事実だけで充分。ただ…」
「ただ?」
そこで言葉を切った俺を促すように、シンヤが言葉を重ねる。
「多分、これは京くんだけが治してくれると思うねん。
京くんだけが俺に色彩のある世界を思い出させてくれる。
答えてくれるのは…京くんだけやねん」
空は気まぐれで。
冷めたように誰の上にも同じように太陽の光を注ぎ、同じように雨を降らせる。
地上で誰がどうなろうと、何一つ変わらない。
リビングへ向かうと、トシヤがごそごそとカバンの中から何かを取り出していた。
「これ、オルゴール。特別に作ってもらったんだ、あの曲」
「へぇ、そうなんや…」
それは、あの日からずっと京くんが歌い続けているメロディ。
京くんのために俺がかいた、曲。
「綺麗だね…音色」
「うん…」
その音色に耳を傾けながら、京くんの隣に腰掛けて。
「なぁ?京く…」
いつものようにマグカップを手渡そうとした手を止めて、俺は一瞬言葉を失った。
あの日、心にカギをかけてしまった京くんが。
あの日、感情を閉ざしてしまった京くんが。
静かに、頬を濡らしていたから。
「きょ…うく…?」
持ち損ねたマグカップが足下に転がり、床に飛び散った。
でも今は、そんなことに気を取られている暇はなくて。
「京くん!?京くん!?」
がくがくと、肩を揺さぶる。
でもその視線は相変わらず宙を見つめたままで。
「京くん、俺や、薫や!!」
「薫くんちょっ…落ち着け…」
「京くん、俺を見てや、京くん!!」
「薫くん、ちょっ…やめろ…って…」
何の変化も見られなかった京くんの突然の変化に、俺のボルテージは一気に上昇し。
自分でも感情のコントロールがきかず、周りの状況も何も目に入らず、耳に届かへんかった。
「京くん!?京くん!!」
「薫くん、やめろ!!」
がしっと後ろから羽交い締めにされる。
俺は無茶苦茶に抵抗し、喚き散らしたあげく意識を失ってしまったらしい。
「京くん、京───!!」
ただ、静かに涙を流す京くんの姿だけが瞼にうつり…俺の意識は闇に堕ちた。
「…るくん、薫くん…」
…誰?俺を呼ぶのは誰?
「薫くん、せっかく俺が来たったんやで?起きてや」
「…っ、京くん!?」
一気に俺の意識が覚醒した。
しかし目を開けても目の前には膨れっ面をした京くんはいなくて。
「薫くん、起きた?」
変わりに声をかけてきたのは京くんではなくシンヤだった。
「え…俺…」
まだ思考回路のまともに働かない頭は重く、今の状況が掴めない。
頭を抱えるようにして髪に指を通すと、シンヤがそっと額に手を当ててきた。
「大丈夫?さっき計ったら微熱があったから」
「…熱?」
通りで頭がぼおっとするわけで。
くらくらと目眩を起こしそうな体を起こして、俺はきょろきょろとその辺りを見回した。
「…京くんなら、隣の部屋で寝てる」
「え…」
「正確には、薫くんの後を追うようにして意識を失ったってトコかな」
京くんが、意識を…?
呆然としていると、シンヤが真剣な顔をして俺の顔をのぞき込んできた。
「なぁ薫くん」
シンヤの端正な顔が、ルームランプしかついていない部屋に綺麗にはえる。
「もしかしたらこの先、今日みたいに京くんが何か変化を見せるかもしれへん。
それでも混乱せずにその現実を薫くんは受け止められるん?
いつも俺達がずっと傍にいてあげられるわけじゃないねん。
今日みたいに突然京くんが変化を見せて、もし誰もいないときに薫くんが錯乱状態に陥ったら…
他に止めれる人間は誰もおらへんねんで?」
最もなシンヤの言葉に、俺は頷くことしか出来ひん。
けど。
「でも京くんと離れることは出来ない」
きっぱりとシンヤの目を見ながら、俺は告げた。
「今は京くんの気持ちを聞くことが出来ひんけど…
でも約束したから。俺はずっと京くんの傍におるって。
京くんが望む限りはずっと一緒におるって」
だから直接聞く。
京くん本人に。
いつか聞けるはずの京くんの声で、俺への気持ちを。
「…そっか」
俺の気持ちの決心が固いことを悟ったのか、シンヤはこくりと頷いて。
「わかった。薫くんがそこまで言うんやったら、黙って見守ることにするわ」
やけどな、薫くん。
立ち上がってシンヤは俺の目を見ながら続けた。
「薫くんや京くんの周りには俺もトシヤもダイくんもおるねん。
だから全部を2人で溜め込まんといてほしい。
ちょっとは…俺らを頼ってくれたってええねんから…」
だって俺たち仲間やろ?
そう言ってくれるシンヤは、ひどく優しい顔をしていて。
ぐっと、胸が熱くなった。
今日はどうも涙腺が緩いらしい。
再び目に涙が浮かんでくる。
「うん…サンキュ」
「何も泣くことないやろ?」
俺の目に溜まった涙を指先で拭いながらシンヤが苦笑する。
「じゃぁ俺帰るわ。京くん、ちゃんと寝かせてやって」
「ん…」
「またね、薫くん」
ひらひらと手を振ったシンヤがドアの向こうへ消えていった。
ぱたん、と玄関のドアが閉まっていくのを、まるで非現実的なことのように感じながら見つめる。
リビングへ戻ると、ソファで京くんが毛布にくるまったまま眠っていた。
そっと顔を近付けると、穏やかな寝息が聞こえる。
「…京くん」
顔にかかった前髪を梳きながら、静かに名前を口にした。
「京くん」
どうやったら心のカギを開けて、もう一度俺を見てくれる?
「京くん」
俺を見て。俺を京くんの心の中へ入れて。傍にいさせて。
「京くん」
薄く開かれた唇にそっと口付ける。
京くんがいつも座っている窓から見える月は、綺麗な満月だった。
「…寝よか、京くん」
その体を抱き上げ、先程まで自分がいたベッドルームへ連れていく。
「おやすみ」
その唇に、ちゅっと口付けて。
ぎゅっと京くんの体を抱きしめながら、熱の所為も手伝ってか再び俺の意識は闇に沈む。
「…薫くん」
…誰?
また俺を起こそうとするのは…誰なん?
うっすらと目を開けると、そこにはちゃんと膨れっ面をした京くんがいた。
「…京くん?」
「薫くんまだ寝ぼけてんの?」
うりゃ、と食らわされるデコピンが容赦なく俺の額に炸裂する。
「った!」
涙目で額をさする俺を、京くんはくすくすと笑って見つめた。
夢なのか現実なのか、今の俺には判断することすら難しくて。
呆然としている俺に構うことなく、京くんは俺の顔をのぞき込みながら言った。
「薫くん、薫くんはずっと俺の傍におってや。そう約束したよな…?」
俺のシャツの襟をぎゅっと掴んで、顔を赤くして小声で言う京くんが可愛くて。
…もう、夢でも現実でもどちらでもいいと思った。
夢なら覚めないで、現実ならこのままで。
赤い京くんの頬をそっと包み込みながら、もちろんと俺は頷く。
「京くんがそう望むのなら、お望み通りに」
「…約束」
破ったら薫くんなんか捨ててやる。
そう唇を尖らせる京くんの頭を、ゆっくりと撫でて。
「絶対に破りません。ずっと京くんの傍にいます」
そっと小指を差し出して、京くんの小指に絡め合わせる。
「…その言葉、忘れんといてや…」
耳まで真っ赤にしながら俯いた京くんが、ぽつりと呟く。
俺はその言葉にこくりと頷いて……
「………」
ふ、と目が覚めた。
隣には相変わらず穏やかな寝息をたてて眠り続ける京くんの姿。
「…ゆ、め…?」
あまりにリアルすぎて…区別が付かへん。
けど。
「…京くんの言葉として、受け取ってええんよな…?」
それが例え、自分に都合のええ夢であろうと。
構わへん。
京くんがどんな形でも笑って俺の前にいてくれるのなら。
「いいよな?」
ぎゅっと握った京くんの手に、同じだけ力がこめられる。
その反応に俺は小さく笑みを零して。
「京くん」
スキやで。
そう言って、唇に誓いの口付けを交わした。
誰よりも愛しい君に約束するよ。
いくつ季節が過ぎても、いくら時間を重ねても。
もう二度と、君を1人にしたりしないと。
もう二度と、君を離したりはしないと。
そうして過ごしたいくつかの季節の後、起こった奇跡───
END
これは4年くらい前に学校の国語の課題で提出したお話だったりします。
少し改稿してみました。
でもあんまり文章自体はいじってないという、
僕にしてはめずらしいお話だったりします。
(僕は昔書いた文章はしばらくするとよく書き直したくなるんです)
『in the sky』は隆一さんの曲で、すごい好きな曲の1つだったりします。
…あぁ、そういえばこれはかつて僕が結構な同人人生の中で
1回だけ本になったお話でした。笑。しかも3冊だけ。笑。
本人も持ってないという。笑。懐かしい話です…