薫くんが風邪をひいた
「はよーございまーす」
遅刻気味で、慌てて駆け込んだ楽屋。
軽くお咎めを食らうかな、と覚悟していた割に、俺を迎え入れたのは無言の空間で。
「…あれ?」
少々拍子抜けしつつ、部屋の中に入る。
いくつか荷物が置いてあるところを見ると、他のメンバーも来てることは来てるらしい。
でも、その中に見慣れた薫くんの私物は見つからんくて。
普段滅多に遅刻などしない、A型完璧主義者のリーダー。
その姿がないことに、違和感を覚えずにはいられんくて。
首を傾げていると、ばたーんとすごい音をさせて誰かが楽屋のドアを開けた。
「もー!ひどいよシンヤ、置いてくなんてさー!」
おはようの挨拶もなしに楽屋に入ってきたベーシストは、そう泣き言を言いながら部屋の奥に迷わず突き進んでいる。
「…っさいな、トシヤ…」
むく、と奥のソファから起き上がったのはドラマー。
つーかお前、おったんかい…気付かんかったわ…。
「起こしてってくれたっていいじゃんかー!ひでーよ」
「起こしても起きんからほって行ったんやん。僕まで遅刻すんの嫌やし」
「いや、そこで叩き起こせって!」
眠そうな目を擦りながらめんどくさそうに答えるシンヤに、トシヤはこれでもかというくらいじゃれつきながらぶつぶつと文句を言っている。
朝からにぎやかなことで、と少々溜息をつきながら荷物を下ろしていると、再び楽屋のドアが開く音がした。
薫くんかな、という予想はやっぱり裏切られ。
「京くんおはよぉ」
次に入ってきたのは上手ギタリスト。
と、マネージャーの2人で。
「おはよーさん」
とりあえず挨拶をして。
ナイスタイミングで現れたマネージャーに薫くんの行方を聞こうとすると、マネージャーの方が先に口を開いた。
「今日薫風邪でダウンしてるから」
「へ?薫くん休みなの?」
途端、シンヤにじゃれついていたトシヤが声をあげる。
俺も予想外の言葉に、マネージャーの顔を黙って見上げた。
「熱があるみたい。病院に行かなくても安静にしてたら治る、って言ってたから。
……そんなに深刻な顔しなくても大丈夫だよ」
よっぽど顔に出てたんか、マネージャーが俺の顔を見ながら少し苦笑する。
風邪ひいたって。
そんなん俺には一言も―――
鞄の中に入れっぱなしだった携帯を慌てて引っ張り出し、ディスプレイを確認するが。
やはりそこには着信は疎か、新着メールの通知すらない。
―――一言くらい、言ってくれたってええやん。
俺、まがりなりにも付き合ってるわけやろ?
心配くらい、させてくれたって―――
人に対しては何かと小煩く冷房は冷やしすぎるなだの、髪は乾かして寝ろだの体調管理について文句を垂れるくせに。
その張本人が体調崩してどないすんねん。
薫くんて医者になったら『医者の不養生』って言われる典型的なタイプや、絶対。
人のことばっかりで自分のこと疎かにしてるからこんな目にあうんや。
ほんまにもう……
自分の中で悪態をつきつつ、仕事が終わったら絶対一言文句言いに行ったんねん、と思う。
素直に見舞いに行くって言えへんのは俺の悪いとこ。
いやでも俺怒ってるし。一言がつんと言わな気が済まん!
そんなこんなで、薫くんがおらへんために仕事は予定してたよりもずっと早く終わって。
普段の帰宅時間からは考えられへんような時間にスタジオを出れた。
送りのバンで薫くんの家の近くにあるドラッグストアまで送ってもらい、そこで念のために風邪薬を買って。
一応お粥とかもいるかな、とレトルト食品も一緒に籠に入れる。
水分もいるよな。水、と、スポーツドリンクと…
必要そうなものを一通り購入して、ドラッグストアを後にする。
店を出て薫くんの家に向かっていた俺は、その先に見慣れない小さなケーキ屋を発見して。
「こんなとこにケーキ屋あったんや…」
普段はコンビニくらいしか開いてない時間帯に帰ってるから。
全く気付かへんかったらしい。
前を通り過ぎようとした瞬間、鼻先を擽った、ひどく甘い香り。
「…………」
一応、見舞い、なわけやし?
ケーキぐらい…買おてったってもええ、か…
俺はそんなことを考えながら、静かにケーキ屋のドアを開けた。
ふんわり甘い香り。
白っぽい色で飾られたシックな店内は、女の子が好きそうな雰囲気で。
場違いやったか、と後悔してみたところでもう遅い。
いらっしゃいませ、と迎えてくれる店員の声を聞きながら、俯きがちに店内を進む。
サングラス越しに覗き込んだショーケースの中。
そこには、普段は見慣れない綺麗な細工をされた甘そうな洋菓子が並んでいて。
苺の艶っぽい赤色や、白い生クリーム、生チョコレートの色が光を受けて
キラキラと輝いてるように見える。
視覚と、聴覚とを刺激され。
どれも美味そうに見えるその1つ1つを見比べながら、薫くんって何が好きやったっけ、と
ぼんやりと今頃家で眠っているであろう恋人のことを思う。
生クリーム、よりチョコのが好きか?
プリンとかも食うかな…
あれこれ考えては見るものの、さっきから店員の視線が痛い。
くそ、と悪態をつきつつも、結局何種類かのケーキを購入して。
誰がこんだけ食うんやろ、と片手にぶら下げた白い大きな箱を見ながらそそくさと店を後にする。
…まぁ、食えんかったら明日スタジオ持ってったらええか。トシヤとか食うやろ。
そんなことを思いながら、また先程の道を歩き出す。
5分もしないうちについた薫くんのマンション。
もらっていた合鍵を取り出してオートロックのドアを解除し、中に進む。
一緒に付けてある自宅の鍵と擦れて傷付いたそれが淡い光を受けて鈍く光って。
何とはなしにそれを眺めながら、ふっと小さく笑いを零した。
自分の領域内に立ち入ることを許された証。
何となく、それが嬉しくて。くすぐったい。
「薫くーん?」
がちゃり、とリビングに続くドアを開けて。
まだベッドで寝てるか、と思いながら部屋に入った俺に、予想外の声。
「京くん!?」
吃驚したように声をあげたのは、薫くん。
それは間違いないんやけど…
「って、何仕事してんねん自分!?」
「…っ」
風邪で仕事休んだくせして。
何で家で仕事してんねん、アホか!!
その手から見ていた書類をひったくって、強制的にベッドに向かわせる。
「きょ、京くん、俺もう大丈夫やから…」
背中を押す俺に必死に振り返りながらそう言う薫くん。
ほんまアホや。
病み上がりが一番ぶり返しやすいことわかってない、コイツは。
「アホ!風邪で休んどんやから、今日くらい大人しい寝とれ!!」
一喝すると、びくっと身体を震わせて。
しゅんと項垂れる薫くん。
あ、や、そら一言がつんと言うたるとは言っとった、けど…
「そ、そんな泣きそうな顔せんでもええやん……」
ちょっと潤んだ瞳に、ぶわっと沸き上がる罪悪感。
やっぱ体調悪いんやん。
普段こんなんで泣きそうになったりとか絶対せぇへんくせに。
「あー、もう、ごめん。きつく言い過ぎた。怒ってないから、な?」
俯くその頭を抱き寄せて、ぽんぽんと撫でてやる。
ぎゅぅ、と背中に回される腕。
人肌恋しいのか、そのまま擦り寄るように身体を寄せられて。
「どっこも行かへんから。とりあえずベッド入り?」
あやすようにそう言うと、こくんと頷いてもそもそとベッドに入る薫くん。
ほんま、こんな風に誰かを甘やかしてるとか、普段の俺からしたら想像つかへん。
―――まぁ薫くんやから、なんやけどな
「熱は?」
ベッドに横たわらせた身体にタオルケットを掛けてやりながら問いかけると、
薫くんはふるふると首を横に振って。
「もう下がったん?」
「うん」
額を覆う髪を掻き上げながらそこに手を当てると、本人の言うように熱はなさそうで。
「薬は?あ、その前に飯か。…何か食った?」
矢継ぎ早に言葉を重ねると、薫くんが少し困った顔をしながらまたも首を横に振る。
「え、何も食ってないん?」
「あんま食欲なかったし…」
風邪をひいてただでさえ弱ってんのに、飯食わんでどないすんねん。
…おそらく、っていうか確実に、食生活の乱れも免疫力低下の原因やな。
ほんまにもう。
「お粥こーてきたけど。食べる?あ、ケーキもあるで」
すっかり忘れるとこやった。
俺はいったんリビングへ戻ると、机の上に置きっぱなしになっていた白い箱を取って。
意外やったんか、目を瞬かせる薫くんの目の前に差し出す。
箱を開けた途端にふわっと広がる、甘い香り。
「……これ、京くんがこーてきてくれたん?」
箱の中身と俺の顔を交互に見ながら、そう問いかけてくる薫くん。
あんまこっち見んな。何かはずいやんけ。
「まぁ…うん」
でもこんなとこで嘘ついても仕方ないし、と素っ気なく頷く。
すると。
「…ありがとぉ」
ほわん、と。
薫くんが微笑んだ。
それはそれは幸せそうに。
あまりに綺麗で、見惚れてしまうほどに。
「めっちゃ嬉しい…」
そう言ってはにかむその笑顔。
それが見れただけで、店で感じた痛い視線だとかちょっとハズかった思いとか全部何処かに吹き飛んで。
喜んでくれて良かった、と思う。
ケーキひとつでそれだけ喜んでくれる、薫くんが可愛くて。
その笑顔を見れるのなら、また買いに行ってもええかなんて、そんなことすら思う。
「…食べるか?」
「うん」
こくりと頷いた薫くんにつられるように微笑むと、俺は皿とフォークを取りに台所へ向かった。
風邪をひくのはあまりいいことではないけれど。
こうして甘やかすのに大義名分が必要ないっていうのも、たまにはいいかもしれへん。
普段は俺が照れてなかなか出来ひんから。
砂糖菓子よりも甘い甘いその存在。
めいっぱい甘やかしたるから、覚悟せぇや?
そんなことを考えながら。
俺はゆっくりと、薫くんの元へ歩を進めた。
END
京くんがケーキ屋さんで薫くんのことを思いながらケーキを買うシーンだけが書きたかったんです。爆