「きょーくん、温泉行かねぇ?」

きっかけは、トシヤのそんな一言やった。

 

HOT SPRING

 

バイクの上に訪れる冬は早い。
普段歩いているときに首を竦めるような寒さは、バイクの上になると
途端に肌を刺すような痛みに変わる。
何で免許を持たへん俺がそんなことを知っているかというと。

「トシヤー!!寒いわボケェ!!」
「だから暖かい格好してねって言ったじゃん!!」

たった今、この身を持ってその寒さを体験してるから、に他ならない。

日中は日が出てたからまだましやったけど、日没が近付くに連れて徐々に気温が下がってきて。
ジーンズ越し、さらにはブーツ越しの足先の体温すら奪い去っていく始末。
トシヤにメットと共に借りた夏用の(冬用はなかった)グローブは最早意味を持たず、
指先の感覚はほとんどない。
着込んだライダースジャケット、首に巻いたマフラーは風に揺られて、というより
突風に煽られてパタパタとはためいている。

「さむ……」

は、と吐息を吐き出せば、メットの中は白く曇って。
鼻先近くまで無理矢理マフラーを持ち上げ、まるべく剥き出しの肌に風が当たらんように工夫する。
格好悪いかも知れへんけど、この際そんなことを気にする余裕など皆無に等しかった。

唐突に向かい風が激しくなり、今何キロ出してんねん、とメーターを見てみれば
針は100km以上を常に指し示していて。
そら寒いわ、と一人ごちながらトシヤの腰、ひいては足の部分をしっかり両足で挟み込む。
乗り始めた頃に比べたら幾分慣れたタンデムシート。
前ほどしっかりトシヤの身体にしがみついてなくても、ある程度は安定するようになっていて。
トシヤのライダースの腰部分にある金具に片手をかけた状態で、俺は右手を離して
感覚の無くなり始めていたその手をぎゅっと握りしめた。

「もーすぐ着くから」

寒さやら疲労やらで危険なことにタンデムで眠りそうになっていた俺を、トシヤの声が揺すり起こす。

「ん…ぅん…」

ただでさえ声を明瞭に聞き取りにくいメット越しの会話。
カバーを開けないと音が籠もって声が通らないために、仕方なしにカバーを上げると
途端に冷たい風が剥き出しになった頬を突き刺した。

「ぅお、さむ…!!」

その冷気は俺の眠気を覚ますのに十分な威力を持っていて。
目が覚めたのをこれ幸いにと、俺はトシヤの肩に手を乗せて体勢を整え直した。



久々にツーリングに行こうと言い出したのはトシヤの方で。
いい温泉を見付けたんだよ、という言葉に結構な魅力を感じて、いつもならしぶしぶ承諾するところを
あっさり二つ返事でその話に乗った。
寒いから暖かい格好してね、とは言ってたけど、まさかこんなに寒いもんやとは予想だにせず。
おまけに昨晩もしっかり元気やった運転手にのし掛かられ、睡眠時間をきっちり取れたとは言い難い。
ただでさえ疲労困憊な身体に、長距離のタンデムはなかなかの重労働やったらしい。
目的地の温泉に着く頃には、身体は思った以上に疲労を蓄積していた。

「そこだよー」

トシヤの言葉にきょろきょろと辺りを見渡すと、大きな川沿いの向こう側に、
長屋作りのような平たく横に長い建物が建っていて。
そこにいくつかの赤い提灯が灯っている。

「あ、あれなん?」
「うん、そう」

平日だからか何台か車が止まっている以外はがら空きの駐車場にバイクを滑り込ませ、久々に地面に降り立つ。
固く平らな場所を踏みしめる感覚。
んー、とその場で背伸びすると、トシヤがメットを取りながら「ちょっと疲れたね」と苦笑気味に微笑んだ。

「つか、寒い」
「寒いねー。早く温泉入ろ?」

メットをバイクに括り付け、鍵の他にロックを取り付けてそそくさと建物の中に入る。
と、入り口を通り過ぎようとした際に目に入った

『空き室あり』

の文字。
空き室?温泉やけど宿泊宿も兼ねてるんか?とひとり首を傾げながら入り口を潜ると、
そこには予想とはだいぶ違った受付が待ちかまえていた。

「きょーくん、どれがいい?」
「どれがいい?って…」

トシヤが見つめる先には、壁一面に貼られた浴室の写真。
それぞれの写真で浴槽の造りが違ったり、素材が違ったり、広さが違ったりしていて
値段も様々になっている。

「別にどれでもええけど…」

どれがええんか選ぶ基準がさっぱりわからず、トシヤに助けを請うように視線を送ると
「じゃぁ適当に決めていい?」と逆にたずねられて。

「任せるわ」
「んー、じゃぁちょっと待ってて」

そう言って受付に向かうと、部屋番号を告げて会計を済ませ、札らしきモノを受け取って
こちらに歩いてきた。

「じゃ、行くよー」
「あ、うん」

先に歩くトシヤの背中を追って、慌ててその場を後にする。
足湯の浅い温泉と自動販売機や化粧台などが立ち並ぶ場所を通り越すと、そこはまるで
千と千尋の神隠しに出てきそうな景色が広がっていて。

「うわ…すごいな」
「ね」

木製の引き戸がいくつも建ち並び、通路は大きな石が敷き詰められている。
オレンジに近い照明が淡く辺りを照らし出していて。

「あ、京くんここだよ」

そんな景色に気をとられていた俺を、トシヤの声が現実に引き戻す。
言われてその場で立ち止まると、目の前には『伍』と書かれた木製の戸。
その下に備え付けてあった引っかけにトシヤは先程受付で受け取っていた
札を吊すと、いそいそと引き戸を滑らせた。

札には『只今入浴中』の文字。
あぁ、なるほど、と妙に納得してから、トシヤに続いて中に入る。

「おぉ…!凄いやんコレ…!」

目の前に広がった景色に、またも声を上げる俺。
それもそのはず、個室の中に入った途端に俺たちを待ちかまえていたのは
貸し切り状態の温泉で。
2人で入るには余りあるその広さもさることながら、鼻先を擽るのは間違いなく温泉の香り。
奥は大きな窓になっていて、向こう側から見えないように柵のようなモノがそこを覆っていた。

「天井も開くんだよー」

はー、と感心しっぱなしの俺に、トシヤがそう言って浴室のドア近くにあったスイッチを指差す。

「押してみて」

言われるがままにそのスイッチを押すと、ウィーンというモータ音を立てて徐々に天井が明るくなり始めて。

「うぉ!!何やコレ!!」

白い湯気が、外気に当たってさらに白くなって立ち上っていく。
靴下を脱いでぺたぺたと浴室に入り、そこを見上げてみれば何の隔たりもなく空が見えて。

「トシヤ、星出てんで!!めっちゃ綺麗…っつーか、足、イタッ!」
「あぁ、冷えてるとこに突然お湯が当たってるからだよ。へー、綺麗だねぇ」

靴下を脱ぎ、上着から袖を抜きながらトシヤが浴室に入ってくる。

「ほら京くん、1時間って決まってんだから早く入ろーよ。身体冷えてるでしょ」
「あ、そうやな」

トシヤの言葉に一端浴室を出て、引き戸を入って直ぐにあった脱衣所で棚を引き出し、
そこに服を脱ぎ捨てて。
浴室へ入り、早速お湯を掬って身体にかける、が。

「アッツ!!」

バイクで冷え切った身体は、思った以上にその温度を熱く感じさせて。

「痛い痛い痛い…」

ぱしゃ、とお湯を恐る恐るかけ始めた俺を横目に、トシヤはばしゃばしゃとお湯をかき分けながら
中に入っていく。

「お前熱ないんか!?」

思わずかけた言葉に、トシヤは「熱いよー」と苦笑しながらそれでもそこに身体を沈めて。

「でも慣れるって。1回入ってみたらいいよ」
「熱いわ!!」
「気持ちいーよ?」

ばしゃ、とトシヤが濡れた手で顔を拭った。
先程まで寒さで色を失っていた頬が、赤く紅潮して。
いかにも気持ちいいですといった様子に、1人だけセコいわと思いながらも
まだこの熱い湯に身体をつける覚悟が決まらない。

「きょーくんおいでって。星キレーだよ?」

浴槽の奥まで行ったトシヤは、背もたれのような少し緩やかな傾斜がついた部分に
身体を預けながら頭上を見上げて微笑んでいる。

「何なら窓開けたげよーか?」

そう言って背後にあった窓ガラスを、ガララ、という軽い音と共に滑らせるトシヤ。
途端に頬を撫でてきた冷たい風に身体を竦ませ、俺は慌てて湯の中に身体を沈み込ませた。

「あっつ!さっむ!」
「どっち?」

俺の言葉に笑いながら突っ込んできたトシヤを無視して、ざぶざぶと湯をかき分けて奥へ進む。

「っあー…。ちょっと慣れてきた…かも…」

少し赤くなった足の腿などを撫でさすりながら、辿り着いた浴槽の奥、
トシヤの横へ身体を預けて頭上を見上げる。

「うぉー…めっちゃ綺麗やん…」

見上げた空は、満天の星空。
他に照らすものがないからか、星が降ってきそうな程に輝いていて。
喧噪や安っぽいネオンから遠ざかった異空間は、プラネタリウムにも似た雰囲気を漂わせている。

「凄いな…」

思わず零れた俺の呟きに、トシヤも「そうだね」と同意しながらただ、空を見上げて。
言葉を失った空間に、温泉の湯が注ぎ足される音だけが静かに響く。

「来て良かった?」

ぽつん、と。
唐突にトシヤの口から漏れた言葉に、俺は空を見上げていた視線を隣へと移した。
すっかり頬を紅潮させ、前髪を濡らした状態で、トシヤは俺を見つめてやわらかく微笑んでいる。

「…うん」

いつもなら悪態をついてまうとこやけど、今日ぐらいは素直になるのもアリちゃうかな。
そう思ってこくりと頷くと、トシヤはそれはそれは嬉しそうに笑って。

「良かった」

その言葉と共に、ぱしゃと湯をかきわけてトシヤの長い腕が伸びてきた。
抱き寄せられるがままに、身体を寄せて。

「好きだよ、京くん」

濡れた頬を合わせられ、少し距離が取られたかと思うと、すぐに口唇に口付けが降ってくる。

「ん…」

暖かく、濡れた感触。
触れるだけで離れたそれは、もう一度どちらからともなく引き寄せ合って。

「好きだよ」

至近距離で告げられる言葉に、こくりと頷いてその身体に腕を回す。



もう少しだけ。
この贅沢な密室空間を、2人きりで。



小さく湯が跳ねる様子を、ただ星空だけが静かに見下ろしていた
―――

 

END

 

しかし“hot spring”と聞くとしっかりどうでしょうのアメリカ縦断を連想する自分は
相当どうでしょうに染まってるな、と思う今日この頃