ESCAPE
3rdstep

 

*side 京

ビルばかりだった市街地を抜けて、バイクは青々とした緑に覆われた山道を突き進んでいく。
肌をさすようだった直射日光が木々によって遮られ、ひんやりとした風が全身を包み込んだ。

カーブの多い道で身体を傾けるトシヤにしがみついたまま、その耳元で

「涼しいな」

と呟くと、即座に

「寒くない?」

返ってくる言葉。

「いや、平気」
「そっか」

寒いどころか、寧ろ心地がいいくらいの涼風はひどく気持ちよくて。
夏独特の蒸した不快な空気とはかけ離れたそれに、俺は少し目を閉じてトシヤの背中に頭を預けた。

シャツ越しに感じる、トシヤの体温。

「…気持ちええな」

小さな声でぽつりと呟く。
曲がりくねった山道を登っていくと、やがて鬱蒼と生い茂る木々の隙間から街が見え始めて。

「おぉ」

少し身体を起こして、眺める。
さっきまで自分たちがいた街が、あんなに遠く。小さく見えて。

「トシヤ、めっちゃ綺麗」
「ん?…へぇ、すごいね」

ビルが建ち並ぶ街並みも、ここから見ればミニチュアにすぎない。

これから先もきっと、悩みや焦燥、葛藤が尽きることはないんやろう。
でも、今この瞬間だけは、抱えていたそんな感情がひどくちっぽけなものに思えて。

嘘みたいに拡散していく、初夏の間抱え続けた焦燥や苛立ち。

空っぽになった俺の心の中に、少しずつ優しさだとか思いやりだとか、そういう暖かい感情が戻ってきて。

トシヤと一緒で良かった、と。
俺は心から思った。



 

*side トシヤ

あてもなく、バイクを走らせ続けて。
頭上高くにあった太陽は時間と共に少しずつ高度を下げ始め、やがてオレンジ色の光へと変化し始めていた。

気が付けば随分と遠くへ来てしまったようで、もういくつ山を越したか覚えていない。
山道の脇に立てられた看板にはあきらかに自分たちがいた場所とは違う地名が並んでいて。

「…どっか、泊まる?」
「そうやな…」

陰りだした日。
暗くなってからの山道の走行は京くんも乗ってることだし、危険だから出来るだけ避けたくて。
そう思って提案した俺の言葉に、京くんも黙って頷いてくれた。

少し走らせた先にあった、小さな宿泊宿でバイクを泊めて。
飛び込みでもOKかを聞くと、経営しているのであろう老夫婦が快く歓迎してくれた。
話を聞いてみれば有名な避暑地近くまで来ていたらしく、たまたま時期が外れていたから
泊まることが出来たらしい。

「もうちょっとで野宿やったなぁ」
「ホントにね。こんなとこまで来て今更帰れないしさ」

通されたこぢんまりした和室で、メットを置きながら京くんと笑う。
半日近くバイクに乗ってたせいで、変に筋肉が凝っている。
んー、と伸びをしていると、京くんも隣で同じように伸びていた。

「身体、大丈夫?」

俺と違ってあまり乗り慣れてないであろう京くんにそうたずねると

「んー、平気。気持ちよかったし」

そう言って笑っていて。

「それよりトシヤ大丈夫なん?」

逆に俺の心配をされた。

「うん、大丈夫。慣れてるしさ」
「そか」



たわいない会話をして。
準備してもらった風呂に入り、オイルと汗の匂いを落としてすっきりしたところで、老夫婦に声をかけられる。
何も食べてないということを告げると、簡単なもので悪いけど、と食事を用意してもらえた。

「すいません」

二人でぺこりと頭を下げつつ、人の良さそうなおばあさんが用意してくれた食事をいただいて。
普段からそんなにいい食生活を送ってなかった俺たちにとって、質素だけど何処か懐かしい味のする飯はひどく美味しかった。
がっついて食べている俺たちを、おばあさんは嬉しそうに見つめていて。
出されたものを二人して綺麗に食べ尽くすと、お礼を言って部屋に戻った。

 

* * *

 

その夜、俺は京くんを抱いた。

あれほど嫌悪していた他人の体温を、自分でも驚愕するくらい渇望していて。
手を伸ばした俺を、京くんは拒まなかった。

甘い睦言も、下手したら気遣いすら欠落していたかもしれない。

ただ、言葉もなくお互いを貪るようにして抱き合って。

「トシ、ヤ……」
「京くん…」

荒い吐息の中で、それ以外の単語を忘れたかのようにお互いの名前を呼び合う。
薄く開かれた口唇を、自分のそれで塞いで。
弾力のあるそれを甘噛みして、服を剥いだしなやかな体躯を抱きしめる。

伸ばされた腕が、俺の首に絡んで。

電気の消された暗い室内で、差し込んでくる窓の外の月明かりの中に浮かぶ白い身体。
脱色の繰り返された蜜色の髪が、京くんの頭が揺れるたびにぱさりと音をたてる。

抱きしめて、触れて、貪って、満たされて。



闇の中、ただ本能のままに求める動物のように、俺たちは抱き合って果てた。



疲れてか、こてんと眠り込んでしまった京くんの顔を見つめる。
月の光に照らされて、青白く浮かび上がるその表情。

そっと身体を起きあがらせて、薄く開かれた口唇に口付けを落とした。

瞬間、緩く瞬く瞳。

「トシヤ…?」

掠れた甘い声が、俺の名前を紡ぐ。

「ん?」
「俺……」

今にも眠ってしまいそうな、とろんとした声音。
やわらかい口唇が、ゆっくりと動いて。
ぽつりと、呟かれた言葉。

「お前と一緒で、良かっ…た」

言葉尻は、すぅと寝息に吸い込まれて消えて。
ひんやりとした空気が肌を撫でて、通り過ぎていく。

「京……くん…」

今日、俺を1人にせずにいてくれた京くんに対して俺が思っていたことをそのまま告げられて、
柄にもなく俺の心臓は跳ね上がる。
俺が思ってたことを、京くんも思っててくれた。

それだけで、充分。

苛立ちも、焦燥も、葛藤も。
きっと俺たちが生きていく上で、尽きることはないんだろう。
自分自身を解き放っては戦い続ける俺たちにとって。

それでも、こうやって誰かの存在に癒されたりしながら、少しずつ前に進んでいく。

傷付いて疲れ果てた心の暗闇を脱ぎ捨てるためには、きっと『逃げる』ことも必要で。
でも逃げてばかりもいられないから。
明日には、ちゃんと自分の場所へ帰ろう。



絶えず喧噪と排気音が響き渡る昨日までの夜とは違い、開けっぱなしの窓からは
涼しげな虫の鳴き声が聞こえてくる。
ゆらゆらと船が海の上で揺れているような心地良い感覚で眠気に襲われて、
俺は片手にやわらかなぬくもりを抱いたまま、ゆっくりと目を閉じた。
眠れなかったのが嘘みたいに、身体が眠りを欲している。
自然の摂理に逆らうことなく、俺は静かに闇に意識を落とした。






翌朝。
昨日までと変わらず、空はからりと晴れ上がって相変わらず暑い真夏日となったけれど。
抱えていた翳りがなくなった分、やけに清々しかった。
初夏の間、抱え続けた焦燥や蟠りは嘘みたいに拡散して消えて。
変わりに空っぽになった俺の心の中を独占し始めた、甘い痛み。

好きだとか、愛してるだとか。
そんな陳腐な言葉じゃ表せないこの感情に、俺が―――というより、お互いが気付くのは
もう少し後になってからの話なのだけれど。

「京くん、行くよ」
「んー」

メットを被ってタンデムに座った京くんのその顔に刻まれた、笑顔。
容赦ない太陽光線の元で輝く無邪気な表情に、一瞬目を奪われて。

「トシヤ」
「ん?」
「また来よな」

そう言って抱きついてくる、しなやかな身体。

「…そうだね」

ぽん、とメットの上から京くんの頭を撫でてやりながら。
胸に沸いた甘酸っぱい感情に、今は、気付かないフリをして。
俺はグリップを握りしめると、硬いアスファルトを蹴った。



メタリックフォルムは、揺れる蜃気楼を越えて走り抜けていく。



―――真夏の逃避行

 

END