その夜、俺は京くんを抱いた。
あれほど嫌悪していた他人の体温を、自分でも驚愕するくらい渇望していて。
手を伸ばした俺を、京くんは拒まなかった。
甘い睦言も、下手したら気遣いすら欠落していたかもしれない。
ただ、言葉もなくお互いを貪るようにして抱き合って。
「トシ、ヤ……」
「京くん…」
荒い吐息の中で、それ以外の単語を忘れたかのようにお互いの名前を呼び合う。
薄く開かれた口唇を、自分のそれで塞いで。
弾力のあるそれを甘噛みして、服を剥いだしなやかな体躯を抱きしめる。
伸ばされた腕が、俺の首に絡んで。
電気の消された暗い室内で、差し込んでくる窓の外の月明かりの中に浮かぶ白い身体。
脱色の繰り返された蜜色の髪が、京くんの頭が揺れるたびにぱさりと音をたてる。
抱きしめて、触れて、貪って、満たされて。
闇の中、ただ本能のままに求める動物のように、俺たちは抱き合って果てた。
疲れてか、こてんと眠り込んでしまった京くんの顔を見つめる。
月の光に照らされて、青白く浮かび上がるその表情。
そっと身体を起きあがらせて、薄く開かれた口唇に口付けを落とした。
瞬間、緩く瞬く瞳。
「トシヤ…?」
掠れた甘い声が、俺の名前を紡ぐ。
「ん?」
「俺……」
今にも眠ってしまいそうな、とろんとした声音。
やわらかい口唇が、ゆっくりと動いて。
ぽつりと、呟かれた言葉。
「お前と一緒で、良かっ…た」
言葉尻は、すぅと寝息に吸い込まれて消えて。
ひんやりとした空気が肌を撫でて、通り過ぎていく。
「京……くん…」
今日、俺を1人にせずにいてくれた京くんに対して俺が思っていたことをそのまま告げられて、
柄にもなく俺の心臓は跳ね上がる。
俺が思ってたことを、京くんも思っててくれた。
それだけで、充分。
苛立ちも、焦燥も、葛藤も。
きっと俺たちが生きていく上で、尽きることはないんだろう。
自分自身を解き放っては戦い続ける俺たちにとって。
それでも、こうやって誰かの存在に癒されたりしながら、少しずつ前に進んでいく。
傷付いて疲れ果てた心の暗闇を脱ぎ捨てるためには、きっと『逃げる』ことも必要で。
でも逃げてばかりもいられないから。
明日には、ちゃんと自分の場所へ帰ろう。
絶えず喧噪と排気音が響き渡る昨日までの夜とは違い、開けっぱなしの窓からは
涼しげな虫の鳴き声が聞こえてくる。
ゆらゆらと船が海の上で揺れているような心地良い感覚で眠気に襲われて、
俺は片手にやわらかなぬくもりを抱いたまま、ゆっくりと目を閉じた。
眠れなかったのが嘘みたいに、身体が眠りを欲している。
自然の摂理に逆らうことなく、俺は静かに闇に意識を落とした。
翌朝。
昨日までと変わらず、空はからりと晴れ上がって相変わらず暑い真夏日となったけれど。
抱えていた翳りがなくなった分、やけに清々しかった。
初夏の間、抱え続けた焦燥や蟠りは嘘みたいに拡散して消えて。
変わりに空っぽになった俺の心の中を独占し始めた、甘い痛み。
好きだとか、愛してるだとか。
そんな陳腐な言葉じゃ表せないこの感情に、俺が―――というより、お互いが気付くのは
もう少し後になってからの話なのだけれど。
「京くん、行くよ」
「んー」
メットを被ってタンデムに座った京くんのその顔に刻まれた、笑顔。
容赦ない太陽光線の元で輝く無邪気な表情に、一瞬目を奪われて。
「トシヤ」
「ん?」
「また来よな」
そう言って抱きついてくる、しなやかな身体。
「…そうだね」
ぽん、とメットの上から京くんの頭を撫でてやりながら。
胸に沸いた甘酸っぱい感情に、今は、気付かないフリをして。
俺はグリップを握りしめると、硬いアスファルトを蹴った。
メタリックフォルムは、揺れる蜃気楼を越えて走り抜けていく。
―――真夏の逃避行