あの夏

音楽以外で、俺たちがしたこと
―――

 

ESCAPE
1ststep

 

*side トシヤ

数年前の、夏。
例年にない気温を観測しています、と繰り返すマスメディアの同じフレーズだけが木霊する猛暑に見舞われた、その年。

音楽活動も順調で、ベースもこれ以上なく絶好調。
何一つ不満に思うことなんてないのに、俺はただ、ひたすらアップダウンを繰り返していた。

誰かといるときや、音楽に携わっているときは、凝りの残った自分の感情はなりを潜め。
1人になった瞬間や、ふっと意識がフラットに戻った瞬間―――俺は引っ張られるようにして、闇に沈んでいった。

上手く折り合いの付けられない感情のせいで、ほとんど眠ることが出来ずに。
あてもなく外へ出かけたり、無茶な酒の飲み方をしてみたり。
身体が休息を求めていても、若さのために有り余る体力でそれを無理矢理カバーして。
ほとんど雨の降らなかった梅雨を越えて、気が付けば初夏は終わり、本格的な夏が来ようとしていた。

胸に抱えた蟠りは、夏の太陽がより濃くなるにつれて重くなって。

最初は夏のせいだと思った。
地元とは違って、室外機が余計に外の気温を上昇させる上に、蒸した空気の出て行く場所がない
都会の夏が肌に合わないんだと思っていた。
夜になっても涼しいどころか生ぬるい風が身体を包む不快感。
そんな日に、誰かと肌を合わせるなんて以ての外で。

でも、どんなに冷房の効いた室内にいてもそれは変わることがなく。
夜な夜なバーやクラブに出入りしてみたものの、事態は良くなるどころかますます悪化し。

吐き出す場所のない蟠りは、いつしか葛藤へと変化し始めていた。

眠れない夜が続いたそんなある日。
たまたま練習が昼過ぎに終わって、俺たちは真夏の太陽が煌々と降り注ぐ時間帯に外へ出た。

お疲れ、と一言言い残して、まともに直射日光をくらいながら、俯くようにして自宅へ戻る。
足下に、短い影。
焼け付くような暑さが全身を覆って。

家に戻って、何とはなしに駐輪場へ視線を滑らせた。
置かれたまま、ほったらかしにしてあった自分の愛機。
雨を防ぐようにかけていたシートを払って、誘われるがままに久々にそのボディに触れてみる。

「………」

唐突に。
出かけよう、と思った。



訳のわからない焦燥から逃れるために、遠くへ逃げようと。



 

*side 京

茹だるような暑さが続いた、数年前の夏。
街に出れば蒸した空気が肌をさし、不快指数だけが上昇していく中で開放的な時期に人々はハイになっていた、その年。

音楽活動も順調で、声の調子もこれ以上なく絶好調。
何一つ不満に思うことなんてないのに、俺はただ、ひたすら葛藤を繰り返していた。

簡単に足下を掬おうとする、焦燥や苛立ちばかりが募って。
ふとした瞬間に飲み込まれそうになっては何とか踏みとどまる、そんなことの繰り返し。

癇癪は自分でも手のつけようがなく、それでいて自分を精神的に追いつめて。
普段から眠ることに関しては何の問題もなかったはずやのに、浅い眠りに就くのが精一杯な状態で。
疲労はたまってるはずやのに寝れへん悪循環で、機嫌の悪さは常にピーク。
陰る様子を見せへん太陽を睨みつけとったら、あっという間に梅雨を越えて夏が到来しとった。

胸に抱えた焦燥は、夏の太陽がより濃くなるにつれて重くなって。

最初は夏のせいやと思った。
雨が降らへんくせに蒸した空気ばっかりが肌を包む上に、直射日光は容赦なく降り注いで。
夜は夜で喧噪でただでさえうるさい街が余計にハイになって、耳に付く。
蟠りをぶつけるように他人の体温に手を伸ばしても、それはその場凌ぎにしかならずに。

どんなに快感に身体は反応しとっても、頭の中は冷え切ったまま。
アホらしくて嫌になるのに、その行為を止められへん悪循環。

吐き出す場所を探す焦燥は、いつしか葛藤へと変化し始めていた。

そんな日々が続いたある日。
たまたま練習が昼過ぎに終わって、俺たちは真夏の太陽が煌々と降り注ぐ時間帯に外へ出た。

お疲れ、と一言呟いて、いつものような笑顔もなくその場を早急に立ち去ったトシヤの後ろ姿をぼんやりと目で追う。
身体の中に抱え込んだ闇が、その影からもはっきりと読み取れて。

「………」

決して太陽を見上げようとせずに俯いて歩くその後ろ姿。
同じじゃないにしても、俺と同じような心理状態を抱えているのは間違いなくて。

気が付けば、俺はトシヤの後を黙って追っていた。

自宅に戻っても、すぐに家に入ろうとせずに何故か駐輪場へ向かったトシヤ。
黙ってその様子を見つめていると、バサリと音をたててカバーが外されて。
中から出てきた、メタリックフォルムのバイク。
誘われるようにしてトシヤがそのボディに手を伸ばして。

何を思ったんか、トシヤはそのままカバーを畳むと、足早に自宅へ消えた。
きっとバイクで出かけるつもりで、メットでも取りに行ったんやろう。

俺は、慌ててトシヤの後を追った。



訳の分からない葛藤から逃れるために、遠くへ連れ去ってもらおうと。



 




トシヤは荷物を最小限に抑えてメットを手にすると、玄関のノブに手をかけた。
瞬間。

「トシヤ」

音もなく、開かれたドア。
その向こう側から聞き慣れた声が響いて、トシヤは驚愕のあまり固まったまま突然の訪問者の顔を見つめた。

「きょう…くん…」

メットを抱えたまま、そうぽつりと呟いたトシヤの顔を京は見上げて。

「俺も連れてってや」

そう、綺麗に微笑んだ。






―――逃げようと思ったんだ。遠くへ。遠い場所へ。訳のわからない焦燥から、逃れたくて。

―――連れて去ってもらおうと思った。遠くへ。遠い場所へ。訳のわからない葛藤から、逃れたくて。






「なぁトシヤ。一緒に逃げようや」

京の口から吐かれた言葉に。
トシヤはしばらく目を見開いていたが、やがてこくりと頷いた。

 

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