逢いたくて 恋しくて 愛しくて 傍にいたくて
その声が聞きたくて その顔が見たくて その身体に触れたくて その全てを愛おしみたくて
溢れ出る感情
いっそおかしいほどに、渦巻くワガママなその想い
甘えは依存を伴い、じわじわと身体を侵食し
そうして簡単に人の足元を絡めとり、足場をさらってゆく
その手を解かれたときに受けるダメージを、頭ではよく理解っているはずやのに
やさしいお前に差し出された手を振り払えるほど、俺は強くないねん
合鍵
来る日も来る日も、仕事漬けの毎日。
まわりから呆れられるほど仕事に没頭してるのはいつものこと。
それは苦痛じゃない。
寧ろ仕事してる方が、余計なことを考えずに済むから。
―――思い出したくないことを、思い出さなくても済むから
意志を裏切って簡単に目蓋に残像を描く、その姿に苦笑する。
自分には甘えてこいと言いながら、その手を解いていった、元恋人。
甘えることに怯え、自分を曝け出すことに怯えていた俺は、広げられた腕に最初は戸惑いながらも結局溺れて。
気が付けば、完璧に依存しきっていた。
浅はかだったと思う。
一方的に与え続けてもらう恋愛に、見えていた結末なんてひとつしかなかったというのに。
手探りで煙草を引き寄せ、口にくわえる。
ふぅ、と吐き出す紫煙にまじる、自嘲気味の溜息。
ダメだ、と思う。
思い出したら引き込まれてしまう。
何度だって、何度だって。
幸せだったあの頃を思い出しては、今の現実に打ちのめされるだけ。
―――わかってるはず、やのに…
「薫くん?」
不意に声をかけられて。
俺はびくりと肩を竦ませると、少し涙の滲みはじめていた目元を慌てて拭った。
振り返らなくても声だけでわかる―――ダイ。
「どないした?ぼんやりして」
「いや、煙が目に沁みただけ。何でもない」
別れを告げられたあの日。
覚悟しとったのに、やっぱりダメージは大きかった。
ただ、愕然と。
短いメールのやりとりの後に泣き崩れた俺を、支えてくれたのはたまたまその場に居合わせたダイやった。
堰を切ったように泣き続ける俺を抱き寄せ、髪を撫でながら。
何も聞かないそのやさしさに、黙って身を委ねる。
幸いなことに、深夜のスタジオには俺たち以外の人影はなくて。
気が済むまで泣き続け、ようやく顔を上げた俺の頬を、ダイの指が滑った。
「大丈夫か?」
「ん……」
ブースのドアを背に、俺を抱きかかえて座り込んでいるダイ。
先程まで顔を埋めていた胸は、俺の涙でびしょ濡れになっていた。
「…ごめん……」
「ええよ、気にせんくて」
浮かしていた頭を、ふわりと胸に押しつけられ。
撫でられる、髪。
頬に当たるシャツが、少し冷たい。
無音空間に、俺の鼻のぐずる音だけが静かに響く。
何をするわけでもなく、ただ黙って俺の髪を撫で続けるダイ。
耳元でとくとくと心臓が鼓動を刻む音だけが響いて。
また、ぶわ、と溢れだす涙。
「…っ、う、く……ッ…」
アイツを思い出しては泣いて、幸福だった時間を思っては泣いた。
情けないくらいにただ、泣きじゃくって。
今日1日で涙なんて枯れ果てたんじゃないかと思うぐらい、俺はその胸で泣き続けた。
「…落ち着いた?」
「……ん…」
ぐずぐずと鼻を鳴らして。
俺は目元を擦ると、身体を起こした。
落ち着いて考えると、どうにもこっぱずかしいことをした気がしてならない。
仲間の…ダイの胸で、失恋したからと言って泣くなんて。
でも、実際問題そこまで入れ込んだ恋愛をしたのは初めてで。
バカみたいに、なりふり構わず溺れていた。
傷付くことを忘れていたわけじゃないのに。
アイツさえいればいいなんてバカげたことだって考えていた。
落ち着いて考えれば、ひどく稚拙な恋愛をしていたと思う。
その反面。
こんなに好きだと思う人には、きっともう会えないと。
そんなことを思ってたのもまた事実で。
「〜〜〜っ…」
支えてくれると。
甘やかしてやると。
そう言ってくれていた人はもういない。
ひとりで歩かなければ。
繋いでいた手はもうないのだから。
馴染みすぎたあの体温も、感触も。
囁かれた言葉も、交わした睦言も。
みんなみんな、忘れなければ―――
「薫くん?」
ぼんやりしていたところに再度声をかけられ、俺ははっと意識を取り戻した。
苦笑気味に、微笑むダイ。
自然とその指先が、俺の目元にのばされて。
あの日と変わらない、やさしい手つきで浮かんでいたのであろう水滴を拭われる。
ふわりとそのまま、頭を抱きかかえられて。
「またひとりで泣いてたん?」
低い、声。
大きな掌。
何もかもが、アイツとは違う。
「ダイ…」
「ん?」
甘やかさないで、ほしい。
ひとりで歩けるように。
ひとりで乗り越えられるように。
強くなろうと、思うのに。
やさしいお前に差し出された手を振り払えるほど、俺は強くないねん。
「もう…甘やかさんでええから」
拒絶したいわけじゃない。
でも、今はあかん。
きっと流されてしまう。
お前のやさしさに溺れてしまう。
―――それじゃ、あかんやろ…?
「何で?」
対するダイは、やんわりと。
突っぱねようとしていた手を逆にとられて、ふわりと抱きしめてくる。
あの日、バカみたいに醜態を晒した、その腕の中で。
ダイはただ、静かに言葉を紡ぐ。
「ダ、イ…っ」
「俺は薫くんを甘やかすで?」
好きやから。
大事にしたいから。
「薫くんが何と言おうと、俺は薫くんを甘やかすよ」
こんなときに言うのはフェアじゃないかもしれへんけどな。
ダイはそう言って、俺の額にそっと口付けを落とす。
やさしくてやわらかな感触。
思わず目を閉じて身を委ねたくなってしまう―――けれど。
あの日、泣き止んだ俺がぽつぽつと話したアイツとの経緯を、ダイはただ黙って聞いてくれて。
泣くだけ泣いたら胸のつかえがすとんと落ちたみたいに落ち着いた俺の身体を、何をするわけでもなく抱きしめてくれていた。
大きな身体。
広い肩幅。
何もかもが、アイツとは違う、のに。
早くもそこに安らぎを求めてる俺は、なんてお手軽な奴なんやろう。
こんなんじゃあかんって、わかってる。
警告が手遅れになる、その前に。
早く、この手を解かなければ―――
「利用してもええよ。あの人と…重ねてくれてたってええ。
いつか俺が、薫くんのこと振り向かせるから」
覚悟しとって?と。
ダイが冗談まじりに微笑む。
でもその口調とは裏腹に、言葉にこめられた本心に気付いてしまったから。
「嫌、や…」
「薫くん…」
「嫌や嫌や嫌や!勝手なことばっかり抜かしよって!!」
急に腕の中で声を荒げた俺に、ダイはきょとんとしたまま。
俺は頬に零れ落ちた涙に気付くこともなく、言葉を続けた。
「俺、は!そんな中途半端なことしたないねん!
お前が真剣に思っとってくれればくれるほど、ちゃんと向き合いたいって思う!
利用するとか、そんなことしたないねん!」
だから。
「頼むから…もうちょっと時間が欲しいねん…。
気持ちの整理がつくまで、待ってほしい……」
お前と向き合うまで、どれくらい時間がかかるかはわからへん。
だから、待てへんのやったらそれでもええ、から。
そこまで言って口をつぐんだ俺。
ダイはただ黙ってる。
俯いてる俺には、ダイがどんな顔してるんか、それはわからへんけど。
しばらくしてチャリン、という金属音が響いたかと思うと、ダイがすっと手を伸ばしてきた。
俺は無意識のうちにびくっと身体を震わせ、目を閉じる。
ダイは黙って俺の手をとると、何か冷たくて堅いものを握らせてきて。
「…?」
おそるおそる目を開けた俺の視界に飛び込んできたモノ。
銀色の、鈍い輝きを放つ―――鍵。
「これ…」
「ん?俺んちの鍵」
いや、そういうことを聞いてるんやなくて…
「俺、薫くんのそういうところ、好きやから。ずっと待ってる。
薫くんがちゃんと俺に向き合ってくれるまで、待ってるから」
だから、そうなったときはこの鍵を使ってや。
ダイは鍵を握らせた俺の手を両手で包み込んだままでそう言った。
「もちろん、ひとりでおるのが辛くなったりしたときにも使ってくれて構わんから」
「ダイ…」
「薫くんの居場所は、俺が作ったるから」
だからもうひとりで泣かんといて?
やさしい言葉。
差し出された手。
「好きやで、薫」
それらは全て、簡単に人の足元を絡めとり、足場をさらってゆくのに。
その手を取ってはならないのに。
―――きっともう、手遅れ
「バ、カ…」
「ん?」
「バカや、お前……」
ぼろぼろと溢れ落ちる涙。
ただ繰り返し悪態をつく俺に、ダイは怒ることもなくその両の手を伸ばして。
ぎゅっと俺の身体を抱き寄せる。
あの日、醜態を晒したその腕の中。
でもそれは、ダイやったから見せれたんかもしれへん。
もしかしたらそんなんじゃなくて、ただ弱ってただけなんかもしれへん。
ただ甘えられる場所を欲してただけかもしれへん。
そんな弱い俺やけど。
甘えと愛情を履き違えて、ダイを傷付けることだけはしたくない。
「薫、好きやで」
耳元で囁かれる言葉。
答える言葉を見付け出せずに、ただこくりと頷いて両手をダイの首に回す。
いつか俺が、この言葉に答えられる日が来るのか。
それは定かではない、けれど。
力を込めた指先。
手の中にある硬質な感触を確かめるように、俺はぎゅっとその手を握りしめた。
この鍵の先に辿り着く場所が、逃げ場所にだけはならないように。
ただ、それだけを切に祈りながら。
END