愛してる
―――愛してる
素直になんて、伝えられないけれど
Be Loved Lip
廊下ですれちがった瞬間。
打ち合わせで隣に座ってる現在。
空気が揺れるたびに鼻先につく嗅ぎ慣れた香りに、薫は心の中で小さく溜息をついた。
スタジオに缶詰になって早幾日過ぎたのか。
当たり前だがその間に恋人と二人っきりでゆっくり過ごす時間なんてものが存在するはずもなく、
薫は軽い焦燥感に駆られていた。
触れたい。
キスしたい。
抱き締めてほしい。
この体を壊すくらい、激しい快感で揺さぶられたい。
頭の中を不意に過ぎった考えに、薫は慌てて首を横に振った。
今は大事なミーティング中。そんなことを考えていてはダメだ。
ふぅ、とため息をついて、薫は机の上に置いていた煙草の箱を手に取った。
中から1本取り出し、口にくわえて火を付ける。
燃えた灰を落とそうと、灰皿に手を伸ばした瞬間。
ふ、と指先が触れ合った。
顔を上げなくてもわかる。
この指は、この手は、このジャケットの袖は―――
「どうしたの?薫くん」
固まってしまった薫に、向かい側に座っていたトシヤが不思議そうに声をかけた。
「薫くん?」
「ぅわ…っ!」
目の前にひょい、と顔を覗かせたダイに、薫は文字通りその場に飛び上がった。
ガッタン!と派手な音をたてて椅子が後ろに引かれる。
めずらしく挙動不振な薫の行動に、メンバーは目を見開いたまま視線をそちらに向けた。
当の本人は、顔を赤くしたまま俯いて。
「ちょ、と、トイレ!」
この場を逃げ去るには最も無難であろうその一言を呟くと、そそくさと部屋を出て行った。
「どうしたんだろうねー?薫くん」
なんか様子変だよね、と言葉を続けるトシヤに、そうやなぁ、と相槌を返す京。
シンヤも口には出さないが、心配そうに薫が出て行ったドアを見つめている。
ダイはおもむろに立ち上がると、ちょっと様子を見て来るわ、と言い残して部屋を後にした。
向かったトイレで、薫は個室のドアにもたれて大きく溜息をついていた。
情けない。ダイの匂いだけでトリップしかけている自分が情けない。
赤くなった頬を両手でぺちぺちと叩き、少し落ち着け、と自分に言い聞かせるものの。
「…ダイ」
口をついて出てくるのは、愛しい人の名前。
もうどれくらい、その腕の中でその名前を呼ぶことが出来ずにいるのだろうか。
「何?薫?」
不意にさらっと背後から聞こえた返事に、薫は驚愕して後ろを振り向いた。
「ダっ…」
ダイ!?
何でここにおるねん、とか、何で今まで気配に気付かんかったんや、とか。
言いたいことや自分自身への問い掛けで頭がパンクしかけている薫。
そんな薫を知ってか知らずか、ダイは軽くドアをノックすると
開けて、と穏やかな声で言った。
「…え?」
「ここ。開けてや?」
顔が見たいんやけど、とダイが苦笑するように呟く。
薫は考える前に、ドアの鍵を開けていた。
「薫」
迎え入れられた狭い空間にダイは体を滑り込ませると、
黙って自分を見上げている薫の体を抱き寄せた。
おずおずとダイの背中に手を回す薫。
ぎゅ、と細い指先がジャケットを握り締めて。
「寂しかったん?」
抱き締めたまま耳元で囁くように問い掛けてくるダイに、
薫はその胸元に顔を埋めたまま。
「バーカ。そんなわけないやろ…」
髪の隙間から覗く耳を真っ赤にしながらボソボソと答える。
―――もちろん、それが嘘だと見抜けないほどダイが鈍い訳もなく
「俺は寂しかったで?」
薫に触れんくて、と耳朶に軽く口付けながらそう呟く。
傷ついたような声に、薫は思わず俺やって、と顔を上げた。
途端、顔に満面の笑みを浮かべているダイと視線が絡み合って。
―――ハメられた
瞬間的に、そう悟った。
「オマエ、サイアク」
苦虫を潰したような顔で呟く薫に、ダイはそっと顔を近付けて。
「ゴメン。でも、さっきの言葉はほんまやで?」
薫に触れられんくて、すごい寂しかった。
そう言って、目の前の口唇を奪う。
薄い口唇が微かに触れ合う感触に、薫は目を潤ませた。
体勢が入れ換えられ、壁に押し付けられたかと思うと、
ダイは強引に薫の唇を塞ぐ。
「ンー!!」
突然のダイの行動に、驚いて目を見開く薫。
乱暴に舌で唇が割られ、口内にダイの舌が滑り込んでくる。
軽く歯をたてられた舌に、じんわりと広がる痺れと苦み。
目を閉じてダイの舌に応え始める。
息も付けない激しい口付けを、薫はダイの首に手を回して甘受した。
やけにすっきりとした表情の薫と、僅かに口元を緩ませているダイが部屋に戻ってきたのは
それから数十分後の話で。
「随分ゆっくりだったねー」
吸い殻が山のようになりかけた灰皿で、煙草を押し潰しながらトシヤが声をかける。
「…どうせイチャイチャしとったんやろ」
「薫くん、ダイくん不足やったん?」
さらりと言い放ったシンヤに、言葉を重ねたのは京。
その顔はニヤニヤと緩みっぱなしで。
「そ、そんなんちゃうわ!」
真っ赤になりながらも全否定している薫の横で、
相変わらず表情に余裕を浮かべたままのダイ。
「もー惚気ないでよね、おふたりさん」
やれやれ、と肩を竦めながらトシヤが放った言葉に、
「のっ、惚気てないわ!!」
部屋からは、そんな薫の怒鳴り声があがったとか。
その日、上機嫌なダイの隣で
不機嫌そうな態度を装いながらも、どこか満たされた表情の薫の姿があったらしい。
END